Tsunehiro 的个人资料Mrモナカのオーストラリア日記 - Mr Mon...照片日志列表更多 工具 帮助

日志


11月10日

何をまってるの? 思い切っていってみよう!

わたしたちは時に内気で、なかなか本心がいえません。
そのかわり、本当にいいたくないことをいっぱいいってしまいます。

しかし、何をまってるのですか?

今、それをいわなかったら、一生いえないかもしれませんよ。

その人は死んでしまうかもしれませんし、
その人はどこか遠くにいってしまうかもしれません。

だから、思い切って今日いってみましょう「愛してる」と!

恋人、両親、家族、身近な人にいってみましょう。
恥ずかしかったら、別の方法で愛情を表現しましょう。

だいじょうぶです。

この世には愛しかありません。
その人もあなたのことを愛してますよ。

野口嘉則氏の著作に感動して、自分なりにメッセージをつくってみました。
未熟ではありますが、どうぞ御覧ください。

 


いかがでしたか?

私はつい映画をつくるときに、いっぱい言葉で説明をしすぎるクセがあるので、今回の映画はできるだけ説明をカットしました。そのぶん、この映画が視聴者のみなさんに様々な意味合いをもってくればいいなあと思っています。

この子どもはだれでしょう?

あなたの心の中の良心かもしれませんし、純粋な心かもしれません。
神かもしれません。
あなたの子ども時代かもしれません。
思わずひどいことを言ったり、してしまったあなたのお子さんかもしれません。
あるいは、すでに亡くなってしまったあなたの大切な人かもしれません。

いずれにしろ、私たちが大切に耳を傾ける必要のある存在として描いたつもりです。

謝ったり、自分を責めたり、することも時には必要かもしれませんが、それ以上に、もっと根本的なメッセージを私たちはもっと人々に伝えるべきではないか、そう考えました。

それは、愛。

私たち日本人にはちょっと勇気のいる言葉、愛。
でも、それって決して欧米の言葉であるとはいいきれないんですよね。
洋の東西を問わず、人間の根源に位置づく言葉だと思います。

ディマティーニ博士によれば、「この世にあるものすべての根源的性質は愛で、それ以外は幻想である」そうです。詳しいことは、どうぞ、ディマティーニ博士から学んだ過去のブログなどを参照してみてください。

さあ、何を待っているのですか?
待つ必要はありません。
大切な人に愛を伝えましょう!
今日!

それでは、また。
ブリスベンより感謝と愛情をこめて
モナカ寅次郎
10月31日

そうか、今日はその日だったか

たった今、誰かがドアをたたいたので、開けるとモンスターの格好をした子どもたちだった。
そうか、今日はハロウィーンか。
私は日本の明治チョコをあげた。
「日本のチョコだよ」というと喜んでいた。
暗闇の中に輝くオーストラリアの子どもたちの笑顔はいい。
 
 
 
8月6日

音楽のもつパワー

 
5歳の娘がピアノを習っています。これまでは左手だけ、あるいは、右手だけか、両手で同じメロディーを弾くやり方でしたが、先週から左右別々のメロディーを弾く練習をはじめました。
ご想像つくかもしれませんが、左右で別々のことをするっていうのは慣れていないとなかなか大変だったりします。左手でお腹を撫でて、右手で頭をポンポンたたくことってできますか? ピアノはそれよりはるかにハードです。
左右の手で違うメロディーを奏でるというのは、私たちの想像以上に脳を活発に使います。いいかえれば、左脳と右脳の間で大量の情報が交換されているといえます。慣れないうちは、情報が錯綜したり、誤った情報が伝えられたり、かなり混乱状態になり、なかなか手がスムーズに動かなかったりします。私も幼少時にピアノを少しやっていたので、そのときのもどかしさは今でも記憶に新しいです。
娘のピアノの先生に「左右の手で別々のメロディーを奏でることは左右の脳の交流を活発にするので、生活の他の領域にもいい影響を与えるでしょうねえ」といったところ、まったく同感していただきました。「多くのミュージシャンはとても頭がいいですね。そのことからもいかに音楽の演奏がポジティブなインパクトを与えているかがわかりますね」といっていました。
実は、私の娘はこのオーストラリア人の先生に教わっていますが、その教授法は日本人の鈴木真一氏が開発した「スズキメソッド」に基づいています。その鈴木氏の著作の中でも、音楽演奏の人間に与えるポジティブなインパクトについての記述が見られます。そして、実はあのアインシュタイン氏もバイオリンの名手だったことを明かしています。
楽器から奏でられる音は空気の中を振動して伝わります。私はこの振動こそが物事の心理を表していると思うのです。素粒子物理学の研究成果として、私たちの身体や固体と思っているものも、ミクロの次元では一定の周波数を発している波動であるということが明らかになっています。
好きな音楽を聴いているときというのは、この音の波動と自らの波動が共鳴しているといえるのかもしれません。一方で、好きではない音楽を聴いているときというのは、音と自らの波動が交わらずぶつかり合ってしまっているのかもしれません。
歴史的にみても、ピアノの音色は多くの人類を惹きつけてきました。その音色から発生する波動に多くの人の波動が共鳴してきたのでしょう。いってみれば、共鳴というのは私たちが実は目に見えない世界ではひとつにつながっているということを示すものです。ピアノの音色は私たちにそうしたワンネスを思い出させてくれるのです。特に自らがピアノを弾いて音の波動を発するというのは最高度の共鳴状態にあるといえると思います。
ピアノは左右の脳をひとつにし、身体的・物理的にバラバラのように見える私たちをひとつにしてくれます。
それでは、また。
ブリスベンより感謝と愛情をこめて
モナカ寅次郎
 
 
 

壊れたオルゴール

授業を終えて自分の部屋に戻ろうとしたとき、4年生の女子生徒が「見せたいものがあります」と大事そうに抱えた箱のふたを開けました。
私はその箱の中に何が入っているのか興味深深で見つめていました。
出てきたのは、木製のカバーでできた古びたアルバム。
よく観ると、オールゴールにもなっていました。
でも、もうさびていて音は出ませんでした。
その生徒によると、母親のおじさんが昔アジア各国を旅したときの写真があり、その中に日本に行ったときの写真があるということでした。
写真は全て白黒。そこには、大人から子どもまで様々な表情があり、様々なアジア文化を背景にしたストーリがありました。
その女子生徒も私もそこにあるストーリーの詳細はわかりませんが、豪華な木製のアルバムに大切に保管されてきた事実から考えると、どれも貴重な思い出であることはよくわかりました。
その生徒が日本だと思った写真は、実は日本ではなく、中国かどこか他の東南アジアの国の中国系文化の写真でしたが、私はその生徒に貴重な写真をわざわざ学校にもってきてくれ、私に見せてくれたことに感謝しました。
写真には、その瞬間の思いや気持ちが残るといいます。
何十年も前のあったこともない人の思いが私の心を満たしました。
今回起きたこの「偶然」は何を意味するのか?
じっくり時間をかけて考えてみたいです。
壊れたオルゴールの音色が聞こえてきそうな気がしました。
それでは、また。
ブリスベンより感謝と愛情をこめて
モナカ寅次郎
7月29日

What does Monique mean?

When I was in a gas station, a young lady asked me to drive her to a shopping centre. I was with my daughter and we were not in a hurry. So I decided to help her. She was wearing sun glasses and so I could not identify her face but I understood she was early 20's. She asked me the name of my daughter. I said, "Hana, which means flower in Japanese." She showed an interest asking, "what does Monique mean? That is my name." I was wondering what kanji (Japanese characters originally imported from China) can sound like her name because each kanji has a certain meaning and that is the way we find out the meaning of non Japanese people. The first kanji I found meant "going to the funeral" that didn't sound nice. But I could not find out any other meanings when I was driving. So i appolosised her saying I could not find meaning without dictionaries. Soon after we arrived in the shopping centre. She appreciated and left my car. Should I have said, "Moniqie means eternal beauty" or something to let her feel good? But I am not good at telling a good lie. Tsune
7月15日

車の渋滞に感謝

仕事帰りに外国語教育の教材がたくさんある図書館に行ってきました。
通常なら片道30分くらいで行けるところですが、今日は車の渋滞で片道1時間以上かかってしまいました。
帰りも渋滞はおさまっていませんでした。
 
しかし、おかげで、自分の読みたい本のオーディオブックをかなり聴くことができ、何か得した気分になりました。
今日聴いたのは、ディーパック・チョプラとジェームス・アーサー・レイです。
いやあ、もっともっともっと学びたい!
 
7月14日

新学期がはじまりました

今日から新学期がはじまりました。
昨日は、教職員だけが登校し、会議や新学期の準備をしましたが、
今日から生徒たちも学校に戻ってきました。
 
教職員や生徒たちは、休み中がいかに普段とちがって、楽しいものだったかを探そうとする傾向にありますが、
私の気持ちの上では休みも今も同じ気持ちです。
あたりまえですが、つねに「いま、ここ」しか存在しないからです。
過去は記憶であり「いま、ここ」には実際には存在しませんし、未来は想像上のものでやはり「いま、ここ」には存在しません。
だから、過去や未来を頭から除外すれば、いつでも「いま、ここ」なので、外でいくら「休みだ」「新学期だ」というおうが、気持ちの中ではなんら影響を受けません。
 
今学期は、生徒たちといっしょに日本とオーストラリアとその他の国の情報の入った「多文化ツアーガイド」をつくります。
勤務校の一つでは韓国から生徒たちがやってきます。
8月15日前後には、生徒たちと平和について学びます。
 
どれもまだ想像の域を出ませんが、「いま、ここ」をいつも充実したものにしていけば、いいものになっていくでしょう。
今学期も充実したときがすごせそうです。
 
それでは、また。
ブリスベンより愛情と感謝をこめて
モナカ寅次郎
 
 
7月13日

今日から

今日からまた新学期がはじまりました。
楽しく、「いま、ここ」を充実させていきたいと思います。
7月7日

コミュニケーションの本当の意味

デビッド・ボーム氏によると、コミュニケーションには二つの意味があるそうです。

1.何か共通のものをつくりあげること。

2.何か新しいものをつくりあげること。

現実の世界をみると、いろいろと偏見をもって相手の言葉に耳を傾けない人の何と多いことか。

だからこそ、上記の意味での真のコミュニケーションをつくりあげていく意義があります。

何かわくわくしてきませんか?


それでは、また。
ブリスベンより愛情と感謝をこめて
モナカ寅次郎
6月26日

雨の中の訪問者

今晩、家に日本人女性とオーストラリア男性のカップルが遊びにきました。
末永く愛情と感謝あふれる家庭をつくりあげていってください。
6月20日

バレイを待っている間に

朝、いつものように娘をバレイ教室に連れて行きました。
待っている間、いろいろ他の親御さんたちと話すのですが、それも貴重で楽しいひと時。
また、いかに共通の話題を探し出し、面白おかしく話せる能力を伸ばす場でもあります。
全てが学びの場。
6月14日

静かな空間こそ

みなさん、こんにちは。
ごぶさたしております。
モナカ寅次郎こと、野中恒宏です。
 
ここ数日、ちょっと風邪気味でエネルギーのレベルが低かったのですが、今は元気です。
熱はなかったのですが、一時期何枚着ても寒くて寒くてガタガタ震えたりしていました。
しょうがとハチミツとレモンをお湯に混ぜて飲んだりしたので、だいぶ声も出るようになってきました。
 
日本でも報道されていますが、南半球は今冬に入り、特にオーストラリアでは「新型インフルエンザ」が猛威をふるい、患者も1300人くらいいます。
人口が2000万人で1300人の患者ですから、人口の多い日本の500人に比べたらいかに深刻かおわかりいただけるかと思います。
 
私の日本の友人がこうした状況を受けて、オーストラリア訪問をキャンセルせざるを得なくなりました。
 
世界経済危機や「新型インフルエンザ」など、今は、グローバルな動きを身近でもじかに体験できる貴重なときなのかもしれません。
 
 
そんな中、ディスコに行ってきました(笑)。
娘は5歳なのですが、娘の通う学校が主催して子どもたちのために夜の6時から7時までディスコを開いたのです。
そのとき、私は風邪を引き始めていたときだったので、騒音とドギツイ照明のせいで、かなり頭ががんがんしながら娘の踊りを暗闇でじっと見つめていました。
 
不思議なことに、今回のディスコでは70年代の曲がいっぱい使われました。
中でも印象にのこったのが、YMCAの曲でした。日本では西条秀樹さんの「ヤングマン」として有名ですね。
私と同世代の方は覚えていらっしゃるでしょう。
 
この歌はさびのYMCAのところで、両腕をつかって、YとMとCとAをつくるのですが、そこで面白い発見をしました。
舞台の上の司会の人が、その部分で曲を止めたのです。
当然バックミュージックがない中、子どもたちは大きな声で「ワーイ、エム、シー、エー!」と叫ぶわけですが、その部分が妙に新鮮で、何か時間がとまったかのような印象を受けました。そして、その部分が終わるとまた音楽がなり始めるという趣向でした。つまり、音と音(騒音と騒音?!)の間の静寂が産まれて、そこに、子どもたちの声が鳴り響いたのです。
 
私はディスコというのは、沈黙とは程遠いイベントであり、それゆえ、「いま、ここ」に焦点をもってくることができず、その場にいる人たちはでかい音と照明、ときにドライアイスの煙の中で「無意識」になります。しかし、そんな中、音と音の間に生まれた静寂。
 
私は、先日私の友人がブログで引用していたドビュッシーの言葉を思い出しました。

 

Music is the silence between the notes.
音楽とは、音と音の間の静寂のことである。

(詳細はhttp://mugen-eigo.livedoor.biz/archives/733608.html

 

私たちは、何かと形あるものを思い求めがちです。お金、人間関係、家、車、名誉、地位、学位、など。

ともすれば、形と形の間に存在するスペース(空間)には目が向きません。

私たちは音楽にも、曲やメロディーなどの形に焦点をあてがちです。

音と音の間の静寂には焦点をあてたりはしません。

 

しかし、そうした空間や静寂にこそ、何か「はっ」とするような大切なものが存在しているんじゃないかと思ったことはないでしょうか?

自分がある空間にいて、静寂の中にいることに気がついた瞬間、焦点が「いま、ここ」に集まって、我に帰るような瞬間ってないでしょうか?

 

私たちは騒々しい日常生活の中で、そうした空間や静寂とは反対の部分で、余裕なく(=隙間なく)生きています。

次から次へと「やらなければいけないこと」がやってきて、それに対して反応するのがやっとだったりします。

そうすると、外側の刺激と自分の反応の間にスペースがなくなって、感情的になって、イライラしたり、落ち込んだり、あるいは変に盛り上がったりします。

 

しかし、そうした自分を客観的にみつめる、「もう一人の自分」に気がつくことがあります。

そのときは、自分が静寂と空間の中にいることに気がついたときです。

すると、気持ちが落ち着いて、目の前のことをありのままに受け入れることができる。

 

静寂と空間には無限のパワーが隠されています。

エックハート・トール氏によると、そこにこそ「本当の自分」すなわち、「大いなる意識」が存在するからだといいます。

 

外が、やれ「新型インフルエンザだ」「経済危機だ」と騒がしくても、日常生活の中でできるだけ頻繁に静寂とスペースを見出して生きたいものです。

 

それでは、また。

静かなブリスベンの夜より

モナカ寅次郎

 

6月4日

ピノキオの糸を引っ張っているのは。。。

私の勤務する学校に操り人形のショーがやってきました。
デビッド・ハミルトンというオーストラリアを拠点にして国際的に操り人形のショーを展開している名人芸のショーでした。
 
 
すごいところは、人形の製作、舞台設定、音楽、ストーリー、衣装などすべてを自分ひとりでこなしているところです。
実は彼のショーは昨年のクリスマスに、ショッピングセンターで「偶然」みかけたことがあったのですが、まさか自分の勤務する学校に同じ人がやってきてショーをやるとは思いませんでした。これも一つの「引き寄せの法則」の結果です。私自身なぜこの人を再び自分の近くに引き寄せたかははっきり意識できなかったのですが、引き寄せたからには何かメッセージがあるはずなので、この人といろいろ個人的に話してみることにしました。
 
彼は子どものころに観た操り人形ショーに心惹かれ、それからずっとこの道を歩んできたそうです。いってみれば、幼いころにすでに自分のミッションに目覚め、その道をひたすら進んできたわけです。
 
「自分のやっていることを愛しているし、自分の愛していることをしているわけで、それで生活ができて幸せです」と彼はいいました。
 
やはり、自分の愛していることをして、自分のしていることを愛する、これが充実した人生を送る一つにキーであることを再認識しました。ディマティーニ博士も確か同じようなことを以前いっていました。
 
「操り人形を見ている間は、子どもたちは日常生活や学校生活のいろいろいやなことを忘れられるし、楽しんでくれるとうれしい」
 
実際、彼のショーは1時間弱でしたが、子どもたちは誰ひとり飽きることなく、それこそ夢中に彼のショーを楽しんでいました。彼のショーはまさしく川の流れのように「フロー」していました。全てが一つの流れの中で展開している感じで、時間のたつのをその場にいた全ての人が忘れてしまったかのようでした。子どもたちは、文字通り過去や未来ではなく、「今、目の前」で展開するショーに夢中になっていました。
 
子どもたちは笑い、先生たちも笑い、会場は一つでした。ハミルトン氏と操り人形はひもでつながっていましたが、ハミルトン氏と私たちは「見えない糸」でつながっていました。
 
私たちは日常生活とは違う空間(スペース)を経験しました。
 
このように、このショーには、様々な宇宙の性格がつまっていました。まとめていうと、長年の修行と経験と学習によって培われた能力はフローを生み出し、そのフローは周囲をも巻き込み、その場の人間の焦点を「今、ここに」向けます。そして、「今、ここに」生きるかぎり、すべてのものはつながっているということです。
 
ところで、その「つながっている」ことについて、面白いエピソードがあったので、紹介します。
 
 
ハミルトン氏は、様々な操り人形を自由自在に操ってみせてくれたのですが、そのうちの一つは、ピノキオとそれをあやつるおじいさんでした。いってみれば、ピノキオをおじいさんが操り、おじいさんをハミルトン氏が操るという形でした。
 
はじめ、おじいさんはハミルトン氏に操られていることも知らずに、得意になってピノキオを操ります。そして、やがて信じられない事実を知らされます。つまり、自分自身も実は他者(ハミルトン氏)に操られていたのです。これを知ったおじいさんは落ち込み涙を浮かべます。その様子がユーモラスで子どもたちの大きな笑いを誘っていました。
 
私は、そこにさらにハミルトン氏をあやつる他者(宇宙の知性)の手と糸を観ました。ハミルトン氏は自分の意思でこのショーをやっていますが、さらに深い宇宙の次元でいえば、「宇宙の知性」の意思にそって動いているともいえるわけです。宇宙の意思は、私たちが一つであるということに目覚めることです。だからこそ、彼のまわりには子どもたちや様々なパフォーマンスの機会が引き寄せられ、そこで私たちは一つであることを体験しているわけです。
 
自分のパッションと、宇宙の知性の意思が一つになるとき、そこには自分ひとりの能力以上の空間(奇跡)が産まれます。
 
私は子どもたちに日常的に関わる人間として、教師として、子どもたちとともに「私たちは一つである」という体験をもっともっとしたいと思いました。いいかたをかえると、「私たちはバラバラである」という幻想から子どもたちを解放してあげたいと強く思いました。
 
それでは、また。
ブリスベンより愛情と感謝をこめて
モナカ寅次郎
 
追伸:ハミルトン氏は日本の伝統芸の文楽がすきだといっていました。私たちの伝統文化の中にも普遍を見つけることができます。やはり、どうあがいても私たちは一つです(笑)。
 
 
 
 
6月3日

あなたは感情ではありません You are not an emotion.

オーストラリアでも生徒指導、生活指導は大きな課題になっていて、私も日々様々なことを経験しながら悪戦苦闘する毎日です。
当然、様々な生徒指導の本を読んだり、会議に出席しましたが、いくつかあるポイントの中で、よく様々な場で強調されるのが、「感情」についてです。
 
特に、「感情知能」(EQまたはEmotional Intelligence)はオーストラリアの生徒指導の一つのキーワードといってもよいでしょう。
 
最近オーストラリアの先生に広く読まれている本の一つに「子どもは瀬戸物でできているわけではない」というのがあります。
この著者はゲームを通じて生徒たちに様々な経験をさせて、生活に必要なスキルを学ばせる「ゲームファクトリー」の考案者であり、オーストラリア全土でセミナーを開くなど精力的に活動しています。
 
 
この本の中でも、子どもと感情についてとりあげられていますので、ちょっとご紹介します。簡単にいうと、「感情知能」は、(1)自己認識、(2)自己コントロール、(3)自己動機づけ、(4)共感、(5)人間関係をうまく取り扱うことの5つにわかれています。簡単にいうと、(1)自分の中に生じている感情を認識し、(2)その感情をコントロールして、(3)感情を目標達成に向けて、(4)相手との結びつきを共感によって強め、(5)うまく人間関係を調節していく、というわけです。この「感情知能」の前提の考え方として、感情の認識はよりよい自己理解にむすびつく、自己の感情をコントロールできてこそ、他者との人間関係もうまくもっていけるという考え方があります。後者は「インサイドアウト」の原則にそっており、それなりに共感できます。しかし、前者の感情の認識がよりよい自分理解にむすびつく、というのはどうもズレているように思うのです。
 
まず、感情はあくまでも付随物であって、その人間個人の本質的な部分とは基本的に独立したものです。ドゥオースキン博士の「セドナメソッド」を参考にすると、感情を付随物として考えることの大切さがよくわかってきます。簡単に説明すると以下のようにになります。よく、英語で「I am angry」とか「I am sad」とかいういいかたをしますが、これでは、まるで「自分」イコール「怒り」や「悲しみ」であるかのような印象を受けてしまいます。本来は、「I have anger」「I have sadness」というべきだということです。たとえていえば、感情というのは鉛筆のようなもので、それを握り締めたときはなんともありませんが、それを長く握り続けると手がどんどん痛くなってきます。さらに握り続けると、もう痛みは頂点に達します。でも、手を開いて鉛筆を床に落とせば、痛みはふっと消えます。感情もこれといっしょで、手放すことで私たちは感情から自由になれます。しかし、感情をイコール自分であるというような考え方だと、いつまでたってもその感情から自由になることはできません。
 
別の言い方をすると、感情というのは私たちに対するメッセージなのです。このメッセージは個人レベルのものと、深い宇宙のレベルのものがあります。個人レベルでは、アンソニーロビンスがいうように、私たちは感情を利用して自分に何が必要なのかを明らかにして、よりよい方向に進んでいくことができます。たとえば、怒りを感じたら、それは自分の中のルールが他者ないしは自分によって破られたことを意味します。これを打開するためには、自分のルールをもっと現実にあった柔軟なものにかえたり、相手に自分のルールを明確に説明する必要があったりするわけです。一方、宇宙レベルで話をすると、感情は宇宙が私たちにバランスを取り戻そうと送っているメッセージであるのです。この世の全ての出来事にはプラスとマイナスの側面が同時に存在していますが、私たちはその一面にだけ焦点をあてる傾向にあります。だからこそ、宇宙は「それだけじゃないんだよ、もう一方の側面もあるんだよ」ということを知らせようとして私たちに感情を抱くようにさせているのです。
 
私は、上記でみたような視座、すなわち感情を本来の自分とは独立したもの、ツール、メッセージとしてとらえることは、子どもたちにとっても非常に大切なことだと思うのです。特に子どもたちは、何か外のいやな刺激があった場合には、それに対して即座に感情的に反応し、その刺激と反応の間に「スペース」を見つけることは困難で、感情的な反応が自分自身であると誤解しがちです。感情と自分を切り離すことは困難です。しかし、前にもこのブログでふれましたが、この刺激と反応の間の「スペース」こそが本当の自分であり、私たちの根本存在である「大いなる存在」だからです。
 
エックハート・トールによれば、私たちが特にネガティブな感情にかられてしまっているときというのは、自分がこの「大いなる存在」から切り離されていると思っているとき、すなわち、自分、人生、今現在、「大いなる存在」に焦点を当てていないときであるということです。たとえていえば、川の流れ(フロー)に逆らって泳ごうとしているときにそうしたネガティブな感情が生じるといいます。さらには、私たちは産まれつきペインボディーという痛みを引き寄せる目に見えない身体をもっており、そこに住むエゴが感情を「食べ物」にしてどんどん増殖していくということです。つまり、ネガティブな感情を抱く子どもというのは、本来の自分(=「大いなる存在」)から切り離されたエゴに翻弄されているといえるわけです。
 
エゴに翻弄されたとき、私たちと「大いなる存在」のつながりに目覚めさせてくれるきっかけは、「今、ここ」に完全に焦点をあてること。そして、あらゆる思考や形から自由になること。具体的には瞑想などがいいといわれますが、もっと手短にできる方法は深呼吸です。意識的に深呼吸することで、ふっと過去や未来についての思考がふっと消え、焦点が「いま、ここ」に向けられる瞬間があります。その瞬間が長い人と数秒の人もいるでしょう。その「スペース」こそが、「大いなる存在」、すなわち本当の自分というわけです。実際、授業中に子どもたちが落ち着かなくなってきたときに、この深呼吸を全員でやると、効果覿面で子どもたちがいっせいに落ち着いて学習モードになります。感情的に叫び続けていた子どもにも深呼吸を試したところ、その子は私の目の前で正気を取り戻しました。
 
さきほどの「感情知能」の話に戻ると、そこでは、三番目の要素として「感情を目標達成に向ける」というのがありますが、これではエゴに翻弄された自分勝手な「目標達成」になってしまう可能性が大だと思われます。やはり、感情から独立した本当の自分を見つめなおすことなしに、目標達成を考えるのは非常に危険ではないかと思うのです。
 
エックハート・トール氏は、私たちには二つの人生の目的があるといいます。一つは外的な目的で、もう一つは内的な目的。外的な目的は様々な現れ方をして、常に変わる可能性があり、その共通している特徴は「すること」に焦点があてられているということです。一方、内的な目的は地球上の全ての人類に共通で、これはズバリ「大いなる存在」に目覚めることです。この内的な目的の明確な自覚なしに、外的な目的に生きようとしても、さきほどのたとえでもふれましたが、川の流れに逆行するようなもので、精神的に逆流状態になります。しかし、内的な目的に目覚めて生きていると外的な目的は自然な形で目の前に現れ、私たちは「大いなる存在」の巨大なパワーの流れの中で、様々な人や出来事や資源やチャンスを引き寄せ、それまでは考えられなかった大きなことを達成したりするそうです。トール氏の言葉を借りれば、「宇宙がとてもフレンドリーになる」というわけです。そして、私たちの毎日の経験は、受容(acceptance)、歓喜(joy)、熱中(enthusiasm)に満ちたものになるということです。この三つの要素を自分の内に発見できないとき、私たちは様々な「苦痛」の感情を味わうようになるといいます。そういった意味で、感情、特にマイナスの感情は私たちに大切なことを伝えようとしているメッセージであると再認識できます。
 
 
それでは、また。
ブリスベンより愛情と感謝をこめて
モナカ寅次郎
 
6月2日

ベストセラーの書き方

先日、本の出版を目指す人のためのセミナーに参加してきました。
ダレン・スティーブインス(Darren Stephens)という人が主催するセミナーです。
彼はアンソニーロビンス、ジムローン、クリントン前大統領、ジョングレーなど、世界的に有名な人々とも個人的に交流のある人です。
今回参加した彼のセミナーの題名は、ずばり、「ベストセラーの書き方」というものでした(http://www.howtowriteabestseller.com/)。
 
ステージの一番左がダレンさん
 
昔から漠然と本を出版したいという夢があったのですが、私のミッションが明らかになってから、ますますその思いが強くなったので、こうしたセミナーに参加するのは自然の流れといってもいいかもしれません。
 
簡単にいうと、私は誰でも簡単に外国語のコミュニケーション能力を向上させる「野中メソッド」を世界中に広げたいと思っているのです。そのために、本はものすごく有効な手段だと思うのです。私の考えを主催のダレンさんや、その他の参加者に話したところ、大きな共感を示してくれました。ダレンさんは日本の出版界ともつながりがあるようで、「日本でも出版できるよ」といってくれました。
 
ダレンさんは、オーストラリアを拠点としていますが、世界中にこのビジネスを展開していて、ヨーロッパはもとより日本にも来たことがあるそうです。そのときは、ジェームススキナーさんと対談を行ったといっていました。ですが、日本やその他の国でセミナーをしたときは、通訳を通して行ったということです。やはり、世界中で成功についてのセミナーを展開していても、外国語については全く力を注いでいないんだなあ思いました。私の尊敬するジョンディマティーニ博士もアンソニーロビンスも、外国語はしゃべれません。いわゆる世界で成功している人々はなぜ「外国語を使ったコミュニケーション」を成功の目標の一つにしないのでしょうか? リバレッジの考え方で、そういう「苦手な領域」はできる人に頼めばいいのだ、ということなのでしょうが、はたして、それでいいのでしょうか? たとえば、英語を母国語としない世界中の人々に英語でコミュニケーションする能力を向上させることは、それこそ無限の成功の確率を産み出しますし、また、彼ら自身、英語以外の外国語を話すことで、直接現地の人々と交流し、通訳を通してはわからなかった微妙なニュアンスも理解することができ、より深く人々のニーズなどを認識することができ、より強い結びつきをつくりだし、そうした人々の成功にさらに貢献できると思うのですが
 
そう考えると、ますます自分のミッションをさらに前進させたい気持ちが強くなってきました。
 
さて、先日参加したダレンさんのセミナーのポイントを紹介します(詳しく知りたい方は、リンクをクリックしてみてください)。
 
  1. なぜ本を書きたいのかをはっきりさせる(Decide why you want a book

  2. 何を書きたいのかを決め、それが多くの読者が読みたがっている内容であるようにする(Decide what to write about and make sure there’s a marketplace hungry for it

  3. 本を書く、または書いてもらう(Write the book or get it written

  4. 表紙や裏表紙、その他の図表やイラストを準備する(Prepare the front and back cover and other graphics

  5. 出版社や配給会社を見つけ、自分の本が店頭に並ぶようにする(Get a publisher or distributor, and get your book into the bookstores

  6. マーケッティングの計画を立てる。その際には、インターネットなど、他のメディアも総動員する(Plan your marketing and put together a media kit

  7. 自分をネット上、やそれ以外の場でどんどん宣伝する(Promote yourself online and offline

 

それぞれのステップはとてもシンプルです。しかし、自分ひとりでそれをやろうとすると、ものすごく莫大な時間と労力とお金がかかってしまいます。やはり、こうしたステップをふむためには、マスターマインドというか、その道ですでに実績のあるグループに属したほうが、近道ができるというわけです。ダレンさんのグループもその一つです。

ちなみに、ステップの3の「本を書く、または書いてもらう」というのを見て、「えっ? 自分で書かなくていいの?」と思った方もいらっしゃると思いますが、本というのは必ずしも自分で書かなくてもいいようです。何とベストセラー作家の7割はゴーストライターに書いてもらっているそうです。ダレンさんによると、あのアンソニーロビンスも自分では書いていないそうです。ゴーストライターを見つける代表的なサイトは、www.rentacoder.comwww.elance.comwww.guru.com だそうです。サーチエンジンで日本のゴーストライターも検索できますよ。

ステップ4の表紙や裏表紙にいれるバーコードやISBN番号やwww.thorpe.com.auから注文できるそうです。これがあると本屋で流通されるようになり、世界的にも認知されるようになるそうです。

ところで、こうした細かいステップの大前提になることですが、やはり、本というのはあくまでも名刺代わり、あるいはビジネスを発展させるための手段であるという考え方がそのセミナーの根底に流れていました。実際、本の出版だけで億万長者になることはできないそうで、それをきっかけにしてセミナーを開いたり、ビジネスを発展させることが大切であるといっていました。本を出すことで、「作家先生」という地位が得られ、世間から一目置かれ、ビジネスを展開しやすくなるので、本はパワフルなツールだ、というわけです。まあ、私の場合は、お金持ちになるために本を出すわけではないので、ここらへんにはこだわらないのですが。私は本を通じて、世界中の人々のコミュニケーションをもっと発展させ、究極的には日常生活の次元でもワンネスを実感できる世界をつくりあげたいと思っているのです。それさえできれば、いいんです。

今回のセミナーで再認識したことというのは、やはり、自分がパッションをもっていることに集中することの大切さです。ダレンさんも、その他の成功した作家の方々もみんな口をそろえて、自分が心のそこから情熱をもっている内容を本にすべきだといっていました。そうすると、いろいろな必要なものが引き寄せられるといっていました。そのプロセスでベストセラーが産まれるといっていました。

やはり、どんなジャンルであっても、自分のミッションというか、人生の目的の探求なしに成功をおさめることはできないと再認識しました。

それでは、また。

ブリスベンより愛情と感謝の気持ちをこめて
モナカ寅次郎
 
5月26日

スタートレックに行ってきました! I watched STAR TREK today!

「宇宙それは最後の開拓地。。。」の有名なナレーションではじまるSFドラマの傑作「スタートレック」の最新作が公開されました。
今日早速、私も探査(トレック)に行ってきました。
 
 
このシリーズは40年以上も前にはじまたものですが、いまでも世界中に多くのファンがいます。
興味深いのは今回の映画は第一シリーズのちょっと前のエピソードなのです。
一部を除き、スタッフや出演者が一新され、内容的にも初めて見る人も楽しめる内容になっています。
もちろん、昔からのファンの期待も裏切らない内容でもあります。
 
とにかく「あの人」がスクリーンに登場したときは鳥肌モノの感動でした。
 
 
さて、物語は23世紀の地球と宇宙が舞台です。
地球人のジェームズ・カークとバルカン人のスポックのエピソードが中心に話が展開していきます。
ジェームズの父は宇宙船の艦長(といっても前の艦長が命を落としたので急遽臨時に艦長職に就いた)で、自分の命を犠牲にして800人の乗組員の命(ジェームズ)を救った英雄です。彼は子どものころから、いたずら好き、けんか好きな気性で、自分の生きる道を見つけられずになんとなく日々をすごしていました。そんな彼が宇宙船の艦長との出会いから父の意思を引き継いで宇宙船の乗組員になる決心をします。
 
一方、バルカン星人と地球人の間に産まれたスポックは自らの境遇に葛藤します。というのは、バルカン人は、物事を論理的に考え、感情をもたない種族で、地球人の母親をもつスポックは自分の中にある感情に悩むのです。そんな彼が地球人の母親を失い感情を爆発させます。
 
ジェームズとスポックはことあるごとに衝突し、「あること」がきっかけになり友情を育んでいくことになります。その友情というのは、二人の知らない未来からもたらされた友情でもあり、時空を越えて深まる二人の友情には胸が熱くなりました。
 
この映画で注目すべき点は多くありますが、そのうちの一つは感情でしょう。感情をもつ地球人と感情をもたないバルカン人の姿を通して、感情のもつ意味を考えざるを得なくなります。ディマティーニ博士によれば、感情は物事の一面にしか焦点をあてていないために生じるもので、より深い精神の次元ではプラスやマイナスの感情もなく、愛と感謝でもたらされるといいます。映画の中でのバルカン人は産まれつき感情がありませんが、だからといって生活が愛と感謝で満ちているかといったらそうではありません。スポックが子どものころ、スポックのクラスメイトが彼のネガティブな感情の反応見たさにいじめを何度も繰り返しました。そこには、愛も感謝もありませんでした。本当の意味で愛と感謝を経験するためには、その前提に感情をプラスもマイナスもフルに経験することが必要なのではないかなと思いました。それだけに、地球人の女性と結ばれたスポックの父親の存在は特異であり、周囲からも浮いた存在のようですが、彼ははっきり息子(スポック)にいいます。「私がお前の母親と結婚したのは、愛していたからだ」と。そこには、論理はありません。愛があったのです。やはり、プラスであれ、マイナスであれ、感情がないところでは愛は育ちにくく(あるいは愛というのは地球人特有の概念?)、だからこそ、スポックの父親は自然の流れで愛を求めるようになったのかもしれません。
 
また、エックハート・トール氏によれば、私たちは産まれながらに内面に「ペインボディー」をもち、様々な「痛い」経験を引き寄せているといいます。これを克服するために必要なこととして、焦点を過去や未来に当てるのではなく、「いま、ここ」に焦点をあて、ネガティブな感情や痛みを感じている自分を見つめることが大切であるといいます。実際、映画の中で、ジェームズもスポックもそれぞれの亡くなった父親や母親のことを引きずって生きている面があり、その意味で、過去ばかりに焦点を当てていると、エゴが活発に活動し、様々な感情的な軋轢を産み出しました。しかし、二人が乗船する宇宙船エンタープライズが危機に直面したとき、二人の焦点は「いま、ここ」に注がれることになります。現実の「いま、ここ」の危機を乗り越える中で、二人の間にはしっかりと友情が育まれていきます。過去に引きずられていたときは、「過去=自分」という図式が成立していましたが、焦点が「いま、ここ」に写るにしたがって、二人は過去と自分の間に「すき間」ができるように、これまでと違った反応をお互いに見せるようになります。この部分を書いていて、スティーブンRコビーの刺激と反応の話を思い出しました。実は刺激と反応の間(この場合は過去の物語と自分の反応)には、スペースがあり、そこに自由や才能が存在するのだと。エックハート・トール氏は、外側の刺激に直接反応している自分を見つめるもう一人の自分こそが本当の自分の姿である、といいます。やはり、ネガティブな人間関係を改善させる一つのポイントは、否定的な刺激とリアクションの間に空間があることをどれだけ認識し、より柔軟な選択肢を実践できるかにあるのだと思いました。
 
結論、真の愛を経験するためには、ポジティブであってもネガティブであっても、第一段階として感情を経験することが必要。そして、人間関係改善の一つの有効な方法は、刺激と反応の間にあるスペースをまず認識することが大切であると思いました。
 
何はともあれ、ストーリーも、音楽も、特殊効果も、役者の演技もすべて最高でした。
 
それでは、また。
「長寿と繁栄を」(スポック)
モナカ寅次郎
 
 
 
 
 
5月7日

こんなことをされたらどうおもいますか?

職場の同僚が先日、日本に観光で出かけたそうです。
北海道でスキーを楽しむなど、素敵な時をすごしたそうです。
そんな彼女が「ちょっとこれを訳してほしい」といって、東京の原宿は竹下通りで買ったシャツを学校にもってきました。
聞くと、このTシャツを着て日本の町を歩いたところ、大勢の人が驚いたような顔をして、次の瞬間には笑い出したそうなのです。
いったい何が書いてあるのか教えてほしいと頼まれたのです。
 
そのTシャツに目をやると、次の文字が飛び込んできました。
 
「キャバクラ専科」
 
私が彼女に意味を教えると、顔を真っ赤にして、大きく口を開けて、驚いたような困ったような可笑しいような顔をしてどう反応したらよいものかわからない様子でした。
彼女は「ごめんなさいね、こんなものを見せて困らせてしまって」と私に謝ってきました。しかし、実際には私も謝りました。外国人に意味がわからないことをいいことに、そういう内容の描かれたTシャツを売りつけているなんて、日本人として、何とも情けないというか、申し訳ないというか、悲しいというか、何ともいえない気持ちになったのです。
 
もちろん、オーストラリアでも日本人の私がいろいろなスラングの意味がわからないことをいいことに、いろいろスラングを使われてからかわれた体験はあります。だから、自分たちの言葉を使って、目の前で違った文化の人たちをからかうのは、日本だけではないと思います。でも、日本であろうと、オーストラリアであろうと、真にお互いを同じ人間として扱うなら、そうしたことはできないだろうと思います。
 
自他を区別して、他者を自分とは違うということのみを強調し喜ぶのは根本的にはエゴの性質です。
 
真の国際化とは、お互いの違いをふまえつつも、お互いの中に共通項を見出し、「自分だったらどうだろう」と想像できることが第一歩ではないかと思うのです。
 
それでは、また。
肌寒いブリスベンの夜空より
モナカ寅次郎
 
 
5月6日

みんな同じ

何か無償に他の人の抱えている「弱い部分」がすごく心に響いて感傷的になってしまうことはありませんか?
 
今日餃子をつくったので、ワイフがお隣の家に少しもっていったとき、そこのおばあさんが「ありがとう」といった瞬間入れ歯がスポッとはずれてしまったそうです。
 
また、私の5歳の娘の友人が学校でトイレに行きたがらず、いつも制服をぬらして家に帰るそうです。お母さんによると、トイレにいっている最中に私の娘が他の子どもと遊んでしまって、もう自分と遊んでくれないのではないかと不安で少しでも娘の近くを離れたくないそうなのです。
 
ちょっと、私の周辺で起きたことではありませんが、日本のタレントが深夜によっぱらって裸になって大声で叫んでいたというニュースがつい最近大きく日本のニュースで取り上げられていました。
 
いずれにしても本人たちにしてみれば、「恥ずかしい」のかもしれませんが、私は全然恥じることはないと思います。
つまり、私たちの中にはそうした人たちと同じ性質が形をかえて存在しているからです。
 
たとえば、自分の外見や姿にちょっと弱さを感じて、何かを加えてそれを補おうとしたりしませんか? 私の場合はめがねをかけて目の弱さを補強しています。さきほどのおばあさんは歯を入れ歯で補っていただけです。ちょっと高齢だっただけ。
 
また、何か自分の好きなことに集中したいので、トイレに行かないということもありませんか? 私は読書や映画や何かを書いているときなどはトイレに行きたくありません。娘の友達も私の娘のことが大好きなのでトイレに行きたくなかっただけです。そして、ちょっと幼かっただけ。
 
さらには、何かむしゃくしゃしてすべてを忘れて解放されたい、もっと自分を表現したいと思うときはありませんか? 私は早朝スポーツウェアを着てウォーキングやジョギングをしながら、誰もいない公園で周囲に人がいないことを確認してから自分の目標や感謝の気持ちを大きな声でいったりしています。その日本のタレントもきっと何か解放されたい気持ちや自分を思いっきりさらけ出したい気持ちがあったにちがいありません。そして、お酒を飲みすぎただけ。
 
私たちの中にはすべての人の特徴が形をかえて存在しているのです。温かいと冷たい、おもしろいと退屈、元気と元気がない、まじめとふまじめ、おだやかと暴力的などなど、深く深く自分を探求していくと、私たちの中にはそうしたすべての特徴が形を変えて存在していることがわかります。
 
相手の中に肯定的なところを見たときはもとより、否定的なところを見たときも、自分と切り離さずに、自分の中にもそういう面があるのではないかと考えたいものです。つまり、私たちが意識しようとしまいと、素粒子の次元では私たちはみんなつながっているのですから。実はみんなは一つなのです。
 
それでは、また。
肌寒いブリスベンの夜空より
モナカ寅次郎
 
 
 
5月2日

ベトナムの友人のこと

いま、ベトナム料理のレストランに来ています。

そういえば、大学のベトナム人の友人たちはみんな礼儀正しく、やさしく、勤勉だったなあ。

彼らは今頃どうしているかなあ。

ワイフと娘がトイレに行っている間にそんなことを考えました。

では。

We are in a Vietamese restaurant in West End. I love Vietnamese food. I had many friends from Vietnam when I was in the University. What I remember about them in common is that they were all polite and deligent. I wonder what they are doing by now...... I am waiting for my wife and daughter to come back from the toilet.

4月20日

「日本」を引き寄せる

新しい携帯電話を買いました。

100_4263

見た感じ、ちょうど手のひらにおさまる感じの小さなコンピュータといった感じです。これまでかなり「原始的な」(笑)携帯電話を使っていたのですが、これからは、これでニュースもチェックできますし、電子メールを世界中どこでも送ることができます。より世界とつながった感じがします。まあ、こうしたものがなくても実際、私たちはすでにすべてつながっているのですが(笑)。

そのときの店員さんと話していたとき、ポツリと「私日本にいったことあるわ」ということを行ってきました。子どものころ、家族と日本各地を旅したこと。おいしい料理やアトラクションを楽しんだこと、そして今でも覚えている日本語の単語などを披露してくれました。

また、先日韓国料理のレストランに行ってきました。

100_4255

そこで、店長さんは最初は韓国語で話しかけてきたのですが(私はよく韓国人に間違われます)、私がわからないと日本語で話しかけてきたのです。聞くと、昔その店長さんは4年くらい日本に住んでいたことがあるというのです。

オーストラリアで生活していますが、私自身「日本人」の波動というか、周波数をもっているため、よく「日本」を上記のような形で引き寄せるのです。それが直接日本人だったり、和食だったりもしますが、このように日本人でない方々の中に「日本」を発見するのはいつもとても楽しいことです。

それでは、また。
早朝のブリスベンの青空より
モナカ寅次郎